「性を排した世界」

最近なんとなく判ってきたんだけれど。
私は性を排した世界が好きだったのだ‥‥。
 
 
恋愛ものが苦手で、でも一途な奴が好き。
恋愛ものが苦手だからこそ、一途な奴が好き。
そのことでずっと混乱していた。
恋愛以外で一途さを書くとしたら、それはアブノーマルではないのか?
ずっと私は悩んでいた。
 
 
どうして私はこんなにも清水作品が好きなのか。
一途な奴が好きだから。
『月の子』以前では、清水先生は、あまり主要キャラに
男クサイ男を(たとえば高力士や信夫やサットンのような)描いていないと思う。
ジャックやアートや、ショナですら、ある種の清潔感がある。
 
だから、エレナやベンジャミンやセツがからんでも、
それが同性愛一歩手前でも受け入れていた。
(3人とも中性キャラだし。)
 
なのに、私は、あまりに激しいジュネややおいに吐き気を感じる。
それでも清水先生の作品にひかれたのは、ある意味でその世界が、
性を排した世界だから。(もしくは、だったから。)
 
「ティルトとセツがずっと好き。」
それは一途さも求め、性を排したものを求め、
双子(3つ児)という、私の無意識に求めていた究極のものだから。
 
完結して10年たつのに、彼らほど愛せるキャラはいない。
あの設定は、特異だから。
 
晶×まゆ、由×碧を応援したいのも、だから。
まゆは性を排したものを求めるから。
晶を痛いほど一途に愛しているから。
だから、『輝夜姫』18巻の展開は、あまりにも残酷で。
(だからといって、晶とまゆに百合に走って欲しいわけじゃないのね。)
(ミラーとサットンには、あまりホモらず、友人でいてほしいよ(泣)。)
 
 
私は基本的に男を書けない。
(基本的に、というのは、清水パロを書いたことがあり、
 ショナとか書いていたので。)
オリジナル「空想列車」でも、
車掌は男ではあるが、雄々しい存在ではないし、
「ふたり」でも、動物キャラにオスをいれているが、
恋愛ではなく、「ただ大切」。
 
2001年の春〜夏にかけて参加した他サイトのリレー小説で、
中性キャラを書いたことがありますが、
そのキャラを男扱いされるのにかなり抵抗がありました。
 
 
私の「一途に大切」って何だろう。
どうして私は女らしくするのがイヤで、でも男になる気もなくて。
なのに、どうして「一途さ」「まっすぐさ」にひかれるのだろうか‥‥。

(2003.7/29)